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中西準子氏が文化功労者受章

文化功労者

平成22年の文化功労者、王貞治氏や吉永小百合氏、水木しげる氏といった著名人に、ノーベル化学賞を受賞した鈴木章・根岸英一両氏(同時に文化勲章も受章)が居並ぶ中で、一般のマスコミにはそれほど大きく取り上げられなかったとは思われますが、受章者の中に、中西準子産業技術総合研究所安全科学研究部門長の名前を見つけて、思わず歓声を上げました。

雑感539-2010.11.5「文化功労者顕彰を受けて」

選考理由は、以下のものでした。

環境リスク管理学の分野において、「人の損失余命」と「生物種の絶滅確率」という人の健康と自然環境に対するリスク評価軸を提案・確立するなど、定量的な環境リスク評価と環境リスクマネジメントの研究において優れた業績を挙げ、斯学の発展に多大な貢献をした。

氏は、永年にわたって環境問題の解決を目指した実際的な研究を行い、その成果を社会に対して提言し、かつ、実践してきた。氏の幅広い見識に基づいた新しい提案は、次第に各方面から注目を集めることとなり、政府等の多くの審議会等を通じて政策立案に貢献している。

さらに、独立行政法人産業技術総合研究所化学物質リスク管理研究センター長として、化学物質完全管理技術の開発、特にリスク評価手法の開発および管理対策のリスク削減効果分析の技術開発に努め、化学物質の広域大気濃度推定モデルの開発および化学物質のリスク評価書の作成、さらにリスク評価の概念普及を陣頭に立って指導してきた。

環境汚染物質などに対して、より適切な環境施策を選ぶには環境への悪影響(リスク)の大きさを定量的に比較する必要がある。氏は、このような環境リスク評価において、人の健康リスク評価に関しては人の損失余命に換算することで、また、自然環境に対するリスク評価では生物種の絶滅確率の大きさに換算して統一的に評価する方法を独自に考案し、具体例を積み重ねてきた。

これらの成功は、世界的にも新しい提案として注目を浴び、環境リスク評価と環境リスクマネジメントに関する研究の推進に大きな貢献をした。

氏のこれらの研究と実践の成果は、化学物質環境リスク研究の国家拠点の形成および様々な環境問題での政策立案に生かされてきた。同時に、これら実践的な研究や経験に基づいて、新しい環境リスクマネジメントの考え方ができる人材の育成にも熱心に取り組み、多くの人材を社会に送り出してきた。

これらの業績に対して、平成15年春紫綬褒章、同16年毎日出版文化賞などが授与されている。以上のように、氏は、環境リスク管理学の研究・教育に優れた業績を挙げ、その功績は誠に顕著である。

中西氏は、この選考理由は誰が書いたのか思い当たらないと、ご本人もびっくりされたようです。

万年助手

中西氏は、今のように世の中がエコエコの大合唱になるとは想像もつかなかったであろう、公害が社会問題化していた高度成長時代から40年以上、化学物質の環境リスク評価に取り組んできた人物です。その頃の下水道政策を厳しく批判したがために、東大の都市工学科では20年以上助手という辛酸をなめたばかりでなく、師の下に集まった学生までが嫌がらせにあったといいます。同じ頃、やはり都市工学科の万年助手に、水俣病の研究で有名な宇井純氏がいました。

当時、左翼系の“市民運動家”がギャーギャー騒いでも行政サイドには歯牙にもかけられていなかったけど、中西氏が問題点を具体的に指摘すると、行政側もタジタジになることがよくあったらしく、その頃は市民運動のヒロインのようにまつりあげられることが多かったようです。しかし、“市民運動”にありがちな悪癖というのが、反対するだけで、じゃあどうすればよいかという発想が欠けているということです。それに対して、中西氏は水処理にしろ何にしろ、「よりよいものを造るにはどうすればよいか」という考えでした。ベクトルがずれているわけで、中西氏は行政に対して厳しく批判してきたのと同じように、市民運動に対しても、言うべきことはきっちり言うという人でした。それで、かつて「同士」だった市民運動からも敵視されるようになってしまいました。

雑感431-2008.6.3「石けん運動の経過について考える -びわ湖会議解散の報に接して-」

合成洗剤問題と日本の環境運動

日本全体に広がった環境運動としては、合成洗剤反対運動は歴史的にみて、最強の市民運動のひとつと評価できるのではなかろうか。全国津々浦々に広がり、学校教育の現場にも大きな影響を与えた。

まず、分解しないがために川や下水処理場が泡だらけになる、手が荒れる、洗濯したシャツを着るとかゆい、こういうところから合成洗剤についての不信が広がった。

そして、生分解性の低いABSから生分解性の高いLASに変わっていった。これは、明らかに市民運動の大きな成果である。つぎに、富栄養化の原因であるリンが洗剤に含まれていたことから、滋賀県が有リン洗剤禁止に踏み切ったのも、まさに市民運動の成果である。

当時、私は下水処理の講座に属していたので、如何に下水処理でリンを除くかが大きな研究課題になっていたか知っている。そういう後始末処理に頼るのではなく、発生源でなくしてしまうという方法は、経済的で合理的であった。この頃までの合成洗剤反対市民運動の成果は、もっともっと高く評価されてもいい。

ただ、それが、合成洗剤はダメ、せっけんは良いのスローガンになったことで、合成洗剤の非をあげつらい、せっけんを良いというために、使い易さという素朴な判断基準も捨て、科学性も捨ててしまった。学校教育の現場にまで、非科学的な、合成洗剤の有害性を証明する実験が「理科教材」として持ち込まれたことも、実に残念だ。

スローガンの怖さ

その目標を伝えるために、スローガンは有効で、かつ、必要でもある。しかし、一度決めると、その正当性を証明するために、どうしても無理をするようになる。そのスローガンが正しいかどうかを検証するための道具、科学まで否定するようになってしまう。

流域下水道反対

流域下水道反対運動をしていた時も、スローガンの難しさをいつも感じていた。この流域下水道計画はおかしい、使い捨てという原理はおかしい、工場排水と家庭下水との混合処理はおかしいので、「流域下水道反対」なのだが、一部なら使い捨てした方がいいとか、一部なら工場排水もいいということは分かっている。

だから、リスク論というものを考えるようになったのだが、それは、スローガンの意味を自分で曖昧なものにする行為であった。

反対運動をしている過程で最も難しいのは、相手側(この場合は、旧建設省や都道府県の土木関係)が、改善案を出してくる時である。その改善案が良ければ良いほど、スローガンの意味が希薄になる。

こちら側の意見が一部取り入れられたからいいことだが、自分の主張の意味が希薄になるように感ずる。そして、焦るものだ。場合によっては、自分の主張をより強固にしようと思い始める。以前よりスローガンの意味は希薄になっているのに、それをもっと強く主張するようになることがある。

市民運動にコミットしたとは言え、私は、その運動体の指揮者ではないので、スローガンにそれほど拘束されない立場に立つことができた。しかし、運動体の指導者(活動家)には、スローガンをあいまいにすることは非常に難しいのは理解できる。でも、ここが勝負のような気がする。せっけん運動の流れを見ていて、最初はすごい運動だった、成果も挙がった、しかし、その後、どんどん反科学、非科学になり、社会を後ろ向きに動かす力になってしまい、消費者の動向からも離れてしまった。

リサイクル

リサイクル運動、無農薬、安全な食品を求める運動など、多くの環境・安全運動のスローガンも、今、検証すべき時期を迎えているように思う。安全問題での生協の動きを見ていてもそう思う。主張が正しかった。それに社会が追いついてきた。その時が難しいのだなとつくづく思う。

私の経験から言えば、その時、スローガンを検証し見直し、ある種の妥協をすることが大事だと思う。どうやって検証するか、それには科学と外の社会しかない。外の社会が正しいかと言えば、そんなことないのだけれど、それしかない。

やや飛躍するが、ソ連などの共産主義国家が崩壊した要因も同じだと思っている。

外の社会ってのは不思議で、きれいでない。正しいように見えない。しかし、そこが結局鏡になる。今、グローバリズムの弊害ということが言われている。それには、確かに問題がある。それを是正する運動が必要で、その運動を進めた時、その運動を検証するための鏡は、グローバリズムが支配する社会なのだと思う。少なくとも、ナショナリズムより危険度は小さい。(もう少し丁寧に書くべきですね)

確かに、多摩川が洗剤の泡にまみれていた1970年代の合成洗剤には、問題があったわけです。生分解性の悪いABS(分鎖アルキルベンゼンスルホン酸塩)と、富栄養化の原因となるリン酸塩。しかし、この二悪が駆逐された時点で、「合成洗剤追放運動」は使命を終えたといえます。しかし、「せっけん運動」をやっているところは、一度振り上げた拳を下ろせないのです。

ここ最近は、ダイオキシンや環境ホルモン、BSEの全頭検査など、環境や食の安全に関する「空騒ぎ」ぶりを批判してきました。

環境ホルモン空騒ぎ

これは、報道がダイオキシン・環境ホルモンに対する恐怖一色になっている、まさにそのピークの頃に雑誌『新潮45』に掲載されたものです。ダイオキシン・環境ホルモン騒動はこれ以降、急速に冷めていくことになります。

「ダイオキシンは焼却炉主因」説のウソ

ダイオキシン類対策特別措置法なる法律を作って、学校や家庭の焼却炉を撲滅して、ニュースステーションの「所沢ダイオキシン」報道では風評被害を招き、結果としては大手焼却炉メーカーが「バブル」に沸いただけ、ダイオキシン対策の切り札として導入されたRDF(ごみ固形燃料)発電は惨憺たる有様で、プラントの爆発で消防士が殉職する事態まで起こし、会計検査院から「無駄」の烙印を押されました。

夢のごみ固形化燃料、買い手なし…検査院がメス

 ごみのリサイクル技術として注目されたごみ固形化燃料(RDF)を作るために全国の自治体が運営する50施設のうち、半数以上の26施設が、代金を支出してRDFを工場などに引き取ってもらっていることが、会計検査院の調査で分かった。

 燃料としての品質が低く売却できないことが原因で、RDFの生成にかかる費用も一般的なごみ焼却の倍以上となっており、多くの自治体はRDFを作れば作るほど財政負担を増やしている。稼働を休止した施設もある。

 RDF化施設は、可燃ごみを破砕、圧縮し、発電所や製鉄所などの燃料に加工する施設。1997年からダイオキシン規制が段階的に強化されたことで、規制に対応した大型のごみ焼却炉が作れない小規模の自治体が、国が用意した補助制度を使って建設を進めた。検査院の調査によると、国庫補助を受けたRDF化施設は2006年度までに88市町村が参加して50施設が完成。建設費は計約1988億円(うち国庫補助金約584億円)かかった。

2010年10月25日15時30分 読売新聞

当時盛んに言われていた、ダイオキシンは焼却炉が主な発生源であるという言説をひっくり返したのが、他でもない、中西氏と益永茂樹氏による、横浜国立大学(当時)の研究室でした。自然界に存在するダイオキシンの最大の要因は、1960年代から70年代にかけて水田除草剤として使われたPCP(ペンタクロロフェノール)とCNP(クロロニトロフェン)に含まれていた不純物だというのです。仮説は立てても証明するには、農薬の現物がどうしても必要、当然農薬メーカーの協力を得られるはずもなく、農家を駆けずり回って、物置に問題のPCPとCNPが眠っていないか探したわけです。

3-15.雑感(その15-1998.8.5)ダイオキシンと農薬

3-33.雑感(その33―1999.2.22)農家の物置を探せ!

このことを公表した途端、農薬メーカーは中西氏を告訴するぞと息を巻き、農水省までが中西の研究は信用ならんと言い出しました。そしてあろうことか、ダイオキシンを焼却炉のせいにしたいらしい“市民派”研究者(母乳が危ない、赤ん坊産ますなとアジテーションをした人物もいました)までが、みんな農薬メーカーの側について、中西氏を敵視したのです。そして、中西氏が問題の農薬の画像をウェブサイトに載せると、農薬メーカーは、掌を返したように謝罪したのです。

3-44.雑感(その44 -1999.5.14)「例えば、農薬は」

環境ホルモン濫訴事件

その後、中西氏は松井五郎・京大教授に「名誉毀損」で訴えられます。この裁判に関しては、「市民運動に気をつけろ!」でまとめたとおりです。

化審法改正

化審法(化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律)が2009年に改正されました。おそらく一般の人には馴染みが薄いであろう法律で、その改正に関してもマスメディアで大きく取り上げられたという記憶はありませんが、画期的な大転換だったのです。

雑感483-2009.7.8「化審法の改正 -化学物質規制の思想が変わった-」

  1. ハザードベース規制だった体系が、リスクベース規制に変わったこと
  2. 基本的に新規物質対象の規制法だったが、新規も既存も含む全化学物質を対象にした法律に変わった

「ハザードベース規制」とは、簡単に言えば「○○(鉛・水銀・カドミウム・ダイオキシン……etc)は有害だから規制しなければいけない」ということです。ところが「『無添加』『無農薬』は良いものですか?」でも散々説明したとおり、どんなものでも、ただの水であれ摂り過ぎれば有害です。鉛は鉛、カドミウムはカドミウム、ハザードとしては単一です。ところが、パラケルススが言ったとおり、リスクは簡単に言えば、ハザードに曝露量を掛けたものです。「リスクベース規制」に転換したということは、「○○は有害だからダメ」から、「○○にはこういうリスクがあるから、定量的に管理しなければいけない」という考えに変わったということです。

惜しむらくは、「法律の名前が変わらなかったこと」でしょう。我々の人体も含めて、この世に「化学物質」でないものなどありませんから(別項参照)。

ファクトにこだわる姿勢の原点

2004年に出た著書『環境リスク学―不安の海の羅針盤』。前半は、中西氏の自伝とも言える内容です。その中で、中西氏は自身の姿勢を、「ファクト(事実)」にこだわり続けた、思想からは常に距離を置いてきたと語っています。その姿勢の原点には、氏の生い立ちがあったようです。

父は中西功といい、満鉄調査部で活動、ゾルゲ事件で検挙されるも終戦で釈放、戦後は日本共産党の参議院議員になっていた人物です。父の兄弟もみんな左翼活動家、そんな環境の中、中西氏も、驚くべきことに子どもの頃からマルクスの著作に親しんでいたといいます。将来は弁護士になるだろうと周りに思われていたと。その父が、「50年問題」といわれた党の路線抗争に巻き込まれ、党から除名されます。そのときの父の傷心振りを傍目で見ていて、思想というものは超えることはできない、思想からは距離を置こうと、大学では工業化学科に進んだのです。当時化学合成は花形産業でした。

YNU(横浜国立大学広報)第2号インタビュー(2000.10.18)

ところが「女の博士」が殆どいない時世、就職口がありませんでした。そこで「東大助手」のポストが空いていたので飛び込んだけれど、だれも行きたがらないところだった。「汚水」を扱うところだったからだというのです。

今後

文化功労者には、年額350万円の終身年金が支給されます。中西氏は産総研の部門長を2010年度末を持って退任、今後は年金を使って、ご自身の論文の英訳に取り組まれるとのこと。「安心!?食べ物情報」の渡辺宏氏は、「5年以内に、中西環境リスク論に対してノーベル賞が与えられることを予言」されていますが、あながちオーバーでもないでしょうね。中西氏の研究は、国の宝、いや人類の宝といえましょう。

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