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危ない話ほどニュースになる

なぜ、メディアは警鐘報道をしたがるのか

「食の安全が脅かされた」事件が次々に報道されます。そんなに世の中危険なものがうようよしているのでしょうか。それほど危険なものがあふれているなら、人類はとうに滅亡しているでしょうけど、しぶとく生き残っています。

マスメディアは、なぜ「○○は危ない」報道をやりたがるのでしょうか。

「○○は安全ですよ」「○○には気を配らなくてもいいですよ」では、だれも興味を持ってくれないからです。たったひとりでも、危ない危ないといい続けている「専門家」がいれば、その「専門家」だけを取材して、その危ない論は他の研究者から反論ないし無視されていても、それを無視すれば「危ない」報道の出来上がりです。タミフル問題における、浜六郎医師の大本営発表報道などは、その悪しき典型でしょう。

そもそも、「○○は絶対に無害」「○○はリスクゼロ」とは言い切れません。「悪魔の証明」というやつでして、ないものは証明できないからです。

小島正美記者

毎日新聞編集委員の小島正美氏は、この種の不安煽動報道を斬り、メディアリテラシーの向上を訴えた著書『誤解だらけの「危ない話」―食品添加物、遺伝子組み換え、BSEから電磁波まで』を出しました。

実は小島氏、環境ホルモン問題の頃は、「煽り報道」をする側の立場でした。「中西準子のホームページ」2002年1月21日付の「雑感」では、次のように批判されつつも、「この人、化けるんじゃないか」と捉えられています。

毎日新聞の小島記者は、読売新聞科学部の吉田記者と並んで、環境ホルモンの危険性を煽りに煽ったことで有名。新聞記事で書いただけでなく、本を出し、夜や休日には市民団体主催の講演で、環境ホルモンの危険性を説き続けた。

私は、環境ホルモンについての小島記者の記事は一方的なひどいものだと思っている。ただ、環境ホルモンについて書いている他の記者や書き手と違って、小島記者には、とてもいい点が一つある(と、私は以前から思ってきた)。

それは、彼が、科学論文の原文を読んで書いているように思えることだ。科学論文の解釈は妥当とは思わなかったが、原文に目を通しているなという感じが伝わってきた。それは、とても大事で、その点では、まじめな記者だと評価している。

果たして、反省・自戒を込めてのことか、小島氏は、新聞社に在職のままで、自らもかつて行っていた「危ない」報道を批判するキャンペーンを始めました。

一貫性の法則

BSEや環境ホルモン、遺伝子組み換え作物、タミフルなど、以前言われていた心配は杞憂、あるいは、リスクをはるかに上回るベネフィットがあると後からわかっても、マスメディアはなかなか「火消し」をしないので、漠然とした不安が漂い続けるのです。小島記者は、『誤解だらけの「危ない話」』で次のように書いています。

いったんメディアの記者たちが「組み換え作物は危ない、不安だ」といった論調の記事を書くと、あとになって、数々のメリットが分かったとしても、そのマイナス面を打ち消すのは容易ではないという「一貫性の法則」だ。

これは、最初に否定的なことを書いてしまうと、あとになって、それと違った肯定的な内容の記事を書きにくいということだ。これは、途中で論調を変えるのを潔しとしない一種の法則のようなものだ。

この法則はメディアに限らない。だれだって一度、コミットした(責任をもって発言した)ことを、あとで翻すことを心よしとしない。(p165-166)

メディアに限らず、ある種の市民運動にも「一貫性の法則」はあるわけです。いったん「農薬は危ない」「合成洗剤は環境に悪い」と主張しはじめると、それが思想に転化してしまうわけです。自動車も包丁も、凶器となりうるリスクがあることは誰もが承知の上で、それを上回るベネフィットがあることは自明なので誰もが使っているわけですが、農薬も同じです。きちんとリスク評価をしたうえで車も包丁も使いこなせという中西準子氏のような人は、この種の市民運動からは裏切り者と見なされ排斥されるのです。

"翼賛報道"

政治の報道では、朝日と産経の論調が違うのはよくあることですが、こと科学報道に関しては、どのメディアも恐るべき「画一性」があると小島氏は指摘します。国が「一律救済」を決めた薬害C型肝炎訴訟に関して、NHKのチーフ・プロデューサー、小宮英美氏が雑誌『月刊介護保険』に書いていた記事を引用しています。

「国に責任がある。できるだけ多くの人が救済されるべき」という一見もっともと思われるけれども、全く公正さを欠く「劇場型報道」に明け暮れました。
真実を伝えようとせず、「隣の新聞社やテレビ局と同じであれば安心」という姿勢は、太平洋戦争のときのマスコミと一緒(p151)

「危ない」報道が評価が高まる、儲かるという話

松永和紀氏は、大学院で農学を専攻したのち毎日新聞で10年ほど記者を務め、フリーの科学ライターに転身した方です。松永氏によると、メディアの記者も出世競争を展開する会社員、科学的に十分裏付けを取った「危なくない」報道よりも、世間を驚かせる「危ない」報道の方が社内的な評価は高まるといいます。では、フリーのライターはというと、トンデモ情報を垂れ流すライターでないと、とてもじゃないが食っていけないというのです。

「○○は危ない」と煽る本を書いた科学ジャーナリストたちと対談し、批判したある研究者は、対談後にこう言われたそうです。「先生は大学の教職という仕事があるから正論を言えるんです」、「○○は危ない」系ジャーナリストの方々が、○○を△△や□□に次々変えて商売をし続けているのは、その人たちが出版した本を並べてみれば明らかです。(『メディア・バイアス』(p240-p241)

当事者意識のなさ

松永氏が、TBSラジオの番組「サイエンス・サイトーク」に出演(2008年2月8日)した際に、メディア報道の問題は、新聞社の人事システムに一端があると指摘しています。短い周期であちこち異動させられるので専門性を持てない、環境ホルモン騒動が収束した頃は、かつて環境ホルモン怖い報道をした記者はもう環境省の記者クラブには残っていないので、記者たちに当事者意識がない(これがおそらくメディアが「火消し」をしない一因)というのです。

ニュース価値

自動車事故で5人亡くなるのと、航空事故や鉄道事故で1人亡くなるとのと、どちらがマスメディアによって大きく報道されるでしょうか? まず間違いなく後者でしょう。航空事故や鉄道事故はめったに起きるものではないから、事故にまでは至らない(事故に至るおそれのある)インシデントでも鬼の首取ったように大きく取り上げる、それは航空事故や鉄道事故がニュース価値を持つからです。年に何千人も亡くなる自動車事故の場合、事故一件一件は大してニュース価値がないのです。

飽きたネタより、新ネタ

特ダネ争いに勝つためには、常に新鮮なネタを取り上げるのがマスメディアです。誰でも知っている有名食品企業、老舗料亭が嘘をついていたことを取り上げれば、それを書いた記者の評価は上がります。それに比べると、もう旬の過ぎたネタは忘れられて取り上げられないのです。

O157も、今も毎年のように中毒被害が出ており、飲食店は常にピリピリ警戒をしているのです。ところがメディアにとっては旬の過ぎた、たかが「カイワレの菌」なのです。だから、現実のリスクの大きさに比べてあまりニュースにならないのです。

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