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市民運動に気をつけろ!

「市民サイドの研究者」

安井至・国連大学名誉副学長のサイト「市民のための環境学ガイド」に、こんな記事が出ていました。

予測と実証、「まきかえし」

B君:これが本HPの最後の話題、環境問題の「まきかえし」と似ているということ?

A君:「まきかえし」の記事は、日本科学者会議発行の「日本の科学者」なる雑誌の10月号に掲載されたもの。

B君:日本学術会議は知っているが、日本科学者会議は知らない人も多いだろう。

C先生:関係者として、個人的には、フェリス女学院の本間先生ぐらいしか知らない。

A君:どんな団体かを判断するには、創立宣言を読むのが簡単でしょう。

http://www.jsa.gr.jp/01profile/sengen.htm

C先生:筆者の畑明郎氏は、今は大阪市立大学経営学研究科の教授であるが、もともとは京都市の職員。イタイイタイ病の研究者として知られていた。現在は、土壌汚染と地下水汚染の著書が多いようだ。京都大学工学部の金属系学科の出身。

そして、その記事、「最近の環境問題の『まきかえし』を検討する」では、「中西準子の環境リスク論を検討し、日本評論社シリーズ『地球と人間の環境を考える』を総論的に検討するとともに、最近の環境問題『まきかえし』が、1970年代の公害病第一号たるイタイイタイ病を否定する公害問題『まきかえし』と共通するものであることを明らかにする」ことを目的とする記事だそうで、当然のごとく中西準子先生、渡辺正教授、それに、名誉なことには、私も非難の対象になっている。

(中略)

それにしても、畑氏の記事だが、その最後の結論が非常に面白い。

「このように、かれらの矛先は、私など市民サイドの研究者だけでなく、中立的立場の研究者の松井三郎や遠山千春などにもむけられており、環境問題を科学的に研究し、解決策を見出そうとする研究者に恫喝を加える卑怯極まりない行為だと言える。真摯に環境問題を研究する私達は、これらの恫喝に屈することなく、研究に邁進していきたい」。

是非ともご一読を。「まきかえし」とは一体何なのだろうか。といっても余り一般的な雑誌ではないので入手困難かもしれないが。

A君:最初から対立構造、すなわち、「市民の敵は企業と行政」という構図を前提とした議論しかできていない。普通、科学者というものは、前提なしに何が科学的に正しいかの議論をする。畑氏は、最初から議論をする枠組みができているようですね。思想先行型とでも言えて、いささか旧式に過ぎるようで。

B君:注意をしなければならないのは、「市民サイド」と言っていながら、実は市民の利益や義務を考えて発言をしているのではなく、自称「市民サイド」の同士や組織に向かって発言をしている場合が多いということだ。

C先生:遠山氏との論争の種であったダイオキシン問題については、一部のメディアと無意識に結託して、市民サイドにいるようなふりをして、実は市民を「恫喝して」人質にとる「卑怯極まりない」専門家の存在を許せなかっただけなのだ。畑氏は市民サイドに居るそうだが、このHPも「市民のための環境学ガイド」だ。お互いに「市民、市民」というけれど、本当はどちらが市民サイドなのか。そして、現在の日本において市民とは一体誰なのか。時間がそれを実証し、その最終判定は本当の市民がすることだ。

B君:BSE全頭検査を、「市民の金」の無駄遣いだと言うか、日本人がvCJDで死ぬことを予防するための「市民サイドに立った正しい政策」だと言うか。自称市民サイドの研究者の見解を聞きたいところだ。BSEの全頭検査を続ける意味だが、それは全頭検査を続けることによって利益を得る一部の集団にはあるが、市民サイドには何の意味も無いのではないか、ということを、時間が実証しつつあるのだ。

A君:何が正論なのか。中西準子先生のリスク論が正しいのか、つまらないことで訴訟を起こす教授が正しいのか。渡辺先生のダイオキシンへの問題意識、すなわち、「ダイオキシンを種に、市民を恫喝して企業利益を追求した廃棄物処理産業」、が実情に近いのか。それとも、「"サリンの数倍も危険"な物質であるダイオキシンの発生量を低下させたメディア報道と一部研究者の活動の勝利」だったのか。いずれにしても、時間が実証し、最終判断は市民の役割ですね。

C先生:イタイイタイ病を否定した公害問題「まきかえし」と、例えば「環境ホルモンのリスク論」との間に共通性があるのかないのか。これも時間が実証し市民が判断することだ。しかし、決まった構図を持たずに科学をすることができる研究者、予見無しに素直に情報を読み取ることができる市民には、その結果が今から見えるはずだ。

『日本の科学者』なる雑誌、「余り一般的な雑誌ではない」ゆえ私も読んではおらず、「C先生」すなわち安井氏の側からの見方で述べることはご容赦願いたいところですが、この畑明郎氏なる「市民サイドの研究者」、事実より思想に重きを置く、古臭い市民運動家にありがちなタイプに見えます。

遺伝子組換えイネ濫訴事件

農業・食品産業技術総合研究機構・北陸センターが行っている遺伝子組換えイネの栽培試験に対して、有機農家や、何の関係もない余所者のはずの加藤登紀子氏やちばてつや氏が原告になって差し止めを求めるという訴訟があり、一審原告全面敗訴の判決が言い渡されました(その後控訴されました)。

松永和紀blog:遺伝子組換えイネ裁判棄却

私は、裁判が起こされた直後に関係書類を読んで、原告側の荒唐無稽な主張に呆然となった。推論に推論を重ねて、「実験に使われる組換えイネは危険だ。大変なことが起きる」と主張する。一つ一つの推論にかなりの無理があるのに、それを積み重ねて行くのだから、どうしようもない。

これは、科学裁判と言えるような質のものではないというのが私の印象だ。

ただ、裁判を起こす権利はだれにでもある。世の中に常識の通用しない人はいっぱいいるし、運動のツールとして裁判を使う人もいる。ちなみに、この裁判の訴訟代理人弁護士の中には、京大教授が中西準子先生を訴えて敗訴した例の裁判で、原告側の代理人を務めたおひともいる。「裁判闘争ごっこ」なのだ。

被告側の北陸研究センターは大変だっただろうしお金も使っただろう。今回の裁判は原告全面敗訴で、裁判費用は原告負担となったが、研究者や関係者の無駄に費やした時間を考えると、被告側は莫大な損害を被っている。本当に同情するけれど、空しいけれど、でも、やっぱり仕方がない。

プレスリリース:「遺伝子組換え稲の作付け禁止等請求事件」の判決について

イネ実験中止、賠償認めず 遺伝子組み換え訴訟

新潟県上越市の農家らが、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構(茨城県つくば市)に、上越市での遺伝子組み換えイネの屋外栽培実験中止と損害賠償を求めた訴訟の判決が1日、新潟地裁高田支部(庄司芳男裁判長)で言い渡された。庄司裁判長は原告の訴えを退けた。

原告側弁護団によると、遺伝子組み換え作物に関する本格的な訴訟は初めて。

問題となったのは、いもち病を防ぐため、抗菌タンパク質をつくるカラシナの遺伝子を組み込んだイネの屋外栽培実験。イネ内部で産出された抗菌タンパク質の影響で、いもち病の病原菌が変化し、強力な耐性菌が生み出されるかどうかが争われた。

農家側は「抗菌タンパク質が細菌と継続的に接するため、耐性菌が生まれる危険性が高い」と主張。同研究機構は「タンパク質はイネの外には流出せず、耐性菌は出現しない」と反論した。

訴状によると、実験は2005~06年、同研究機構の中央農業総合研究センター・北陸研究センター(上越市)が実施。05年の実験後、地元農家を中心に23人が提訴した。漫画家ちばてつやさんや歌手加藤登紀子さんも原告に加わっている。

2009/10/01 16:46 【共同通信】

環境ホルモン濫訴事件

松永氏が書いている、「京大教授が中西準子先生を訴えて敗訴した例の裁判」とは、環境ホルモン問題に関する科学論争を名誉棄損という形で法廷闘争に持ち込んだこと、および、インターネット上での言論に対する名誉棄損訴訟(名誉棄損訴訟に関する立証責任に関してはいろいろと問題があるのですが、ここでは触れません)ということで大きな波紋を呼んだ、いわゆる「環境ホルモン濫訴事件」です。

このときは、「水商売ウォッチング」の天羽優子氏や、元NIFTY-Serveのフォーラムマネージャーでネットと表現問題に関する論客として活動している酔うぞ(山本洋三)氏ら有志が「中西応援団」を立ち上げて、訴訟の進行に応じて、随時証拠書面を公開するという試みを行いました。詳しくはリンク先をお読みいただきたいと思います。

 今回の訴訟は、国際シンポジウムという場で公開された発表内容について意見を書いただけで起きている。文書を読んでも、この場合の「名誉毀損行為」が何なのかがさっぱりわからないし、裁判が始まってもやっぱりわからない。しかも、原告は、訴えるぞとも謝罪せよとも何も言わずに、いきなり訴訟を始めている。これは、かなり無茶なことである。こんなことで訴訟になるなら、ネット上で活発な意見交換や議論など、何もできなくなってしまう。なぜ訴えられたか全くわからないことで訴訟されるというのでは、ウェブサイトを作ったりblogをやったりしている場合ではなくなってしまう。

 さらに、私達は、訴えられている中西氏が、もしこのまま負けるようなことがあったら、その判決は、自分の気に入らない議論を潰したい人々にとって、とても都合のよいものになるに違いない、と考えている。判例があることを理由としたクレームによってあちこちで自由な議論がつぶされるということが起こりかねない。誰かからクレームがこなかったとしても、この先、言論と表現を萎縮させる効果は確実に生じるだろう。

 この訴訟が馬鹿げていることは確かだし、こんな訴訟には積極的にNo!と言わないと、ネット上の議論そのものがおびやかされる。

雑感317-2005.9.16「環境ホルモン濫訴事件:中西応援団のサイト」

マスコミ関係者から、こういう意見を聞いたことがある。「確かに、この提訴はひどい。しかし、正直、うちの社としては、反市民派というレッテルを貼られるのが怖いんですよ。記事には・・・」と。

雑感324-2005.11.15「しかけられた名誉毀損訴訟の当事者的考察(その1)-マスコミでの断罪を期待した提訴-」

こう言えばマスコミがついてくると判断したと思う。つまり、「環境ホルモン問題は終わった」というような誤った考えを持っている怪しからん奴、学習障害や注意欠陥多動性障害など大きな問題があるのにどうしてくれる、と言えば、マスコミが大宣伝してくれる、そう踏んだのであろう。そうすれば、裁判で結果が出る前に、私の信用を失墜させることができると考えた。

つまり、彼らには、法廷での争いはどうでもよかったのである。それ以前に、マスコミで叩かれることで、中西は十分信用を失墜させる筈だと考え、それで十分目的を果たせると考えたのである。

つまり、法廷で争うために提訴しているのではない。"法廷"という権力装置の権威を借りて、マスコミに書かせて、マスコミが断罪することを期待した提訴なのである。マスコミは、彼らの思うとおりに書くと思っている。なぜか?ダイオキシンや環境ホルモンで、彼らの思うとおり、裏付けがなかろうと、それが、些細なことであっても、大きな見出しで"人類の危機"みたいに書いてくれたからである。

市民派(? 地球破滅論者?)と言われる大学教官のデータを無批判に大見出しで報道し、それに疑いがかけられても、知らん顔、役所や企業には情報公開を求めるが、市民派(?)教官のデータについては、根拠の公開は求めないなど、マスコミは環境ホルモン派の研究者や市民団体に有利な記事を書き続けてきた。原告代理人が、準備書面に書いたマスコミ対する異常な信頼感は、まさに環境ホルモン問題でのマスコミと市民派(?)運動家との蜜月時代に醸成されたものであろう。

その意味で、今回の裁判を推進したもう一つの力は、マスコミの環境ホルモンに関する報道姿勢だと思う。主役は、松井さん本人、複数の市民団体の幹部達、環境ホルモン学会などであるが、彼らが期待したのはマスコミだった。さらに、マスコミに扇動された世論である。訴えれば、後はマスコミが断罪してくれる。環境ホルモンと書けば大きな記事になるという期待がなければ、こういう不真面目な訴訟はありえない。

「原告」の松井氏本人は口頭弁論に顔を見せることも少なく、代理人任せ、実際に裁判を傍聴された方の話によると、原告側の主張のブレ様が半端ないくらい凄くて、本気で裁判に勝つ気があるのかと呆れていたようです。、マスコミに対する「プレスリリース」は出しても、訴訟戦術というものは端からなかったようです。裁判で勝つことはどうでもよくて、マスコミが「中西は"市民派の敵"」みたいな煽動をしてくれればそれでいいんだと原告側代理人である中下裕子弁護士や神山美智子弁護士らは、「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」の関係者であり、それに環境ホルモン学会が絡んでいるらしい、おそらくは自称"市民派"弁護士こそがこのトンデモ裁判を主導したのではないかというのが下馬評でした(京都の原告が横浜の被告を訴えるのに東京の弁護士を使うこと自体、ちょっと変でしょう)。それに対し、中西氏は反訴しました(反訴は訴訟戦術として行ったもので、反訴されると原告が本訴を取り下げられなくなるから)。結果、本訴・反訴とも棄却、双方とも控訴せず判決が確定しました。

雑感387-2007.5.7「名誉毀損事件判決について(2)」

そのように受け止めたのは、私が反訴した理由に関係がある。私はなぜ反訴したか、そのことに遡って書いてみたい。

私が訴えられたのは平成17年3月16日だった。当初はうろたえていたが、録音テープが手に入り、松井さんが言っていることがウソだと分かった時点から反訴すべきという考えはかなり強かった。しかし、事を余り荒立てるのはどうかという思いがあり、踏みとどまっていた。

しかし、時を経るにつれ、松井さんの主張は強くなり、「説明」の内容は微に入り細をうがった詳しいものになり、ついには、甲第8号証として、口頭説明の要点と称する、slideのようなものまで提出された(7月15日)。そのような説明は一切存在しなかった。つまり、嘘の上塗りみたいなことになっていった。「説明」はなかったことの証拠として、シンポジウムの全過程の録音テープを提出することにし、反訴に踏み切った。反訴の目的は2、いや2.5あった。

第1は、事実と異なることを根拠に名誉毀損で訴えるようなことは許せないという強い姿勢を示すこと、そして、「取り下げ」を言わせないためであった。「取り下げ」ということになれば、裁判所は和解を勧めるに違いない、それを一方的に拒否するのも、不利な感じだし、ここは、取り下げできないようにしておこうと考えたのである。

松井さんと中下裕子さんの強気の対応を見ている多くの方は、向こうが「取り下げ」を申し出ることはあり得ないと思うかもしれないが、中下裕子さんはいざ知らず、1年半後に定年を控えた松井さんの非常に厳しい状況が、同業で同年代の私には手に取るように分かっていたので、取り下げはありうると思っていたのである。

反訴の理由の第2は、自分を支えるためであった。名誉毀損で訴えられたことは、言ってみればマイナス10みたいな状況である。今、その裁判を戦って、有利に展開しているとは言え、最高でも0にしかならない、風向きによってはマイナス2とかかもしれない。それが、ひどく気分を暗くした。目標はプラスいくつかで、悪くても0というのでないと、自分の気持ちを維持できなかったのである。

反訴した時、弘中惇一郎弁護士がこう言った。「被告、被告」と呼ばれてばかりじゃ可哀相だ、これで原告になりましたねと。マイナスとプラスは、こういうことだったのかもしれない。

自分の書いたもの、話したことを批判されたからと言って、名誉毀損に訴えるようなことが頻発したら、言論の自由もなくなってしまう。只でさえ自由な討論批判が少ない日本の学会や言論界で、皆の筆を折らせることになる、こういうことがあってはならないという主張である。私も、強くそう思った。また、私を支援してくれた多くの方も、むしろこの点で応援してくれたのを知っている。

わたしは、「水情報」「雑感」とずっと、実名での批判ということを続けてきたので、私自身も強く主張したいことだった。立証、論証計画の段階でも、この点を補強する証人を立てることなども考えた。しかし、最終的にこの部分の主張は、強くは出さなかった。名誉毀損に相当せずでいいと思うようになった。

その理由は、松井さん相手に言論の自由を封殺するのかと言っても、realityがなかったの一言に尽きる。さらに言えば、松井さんの主張が余りにも支離滅裂で、むしろ明確な意図がわからなかったこともあった。環境ホルモン学会の幹部の方や、中下裕子さんらのダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議の幹部達には、明確な意図(中西をつぶすという)があったと思うが、その人達は後ろにいて、原告ではなかった。松井さんにも、言論封殺の意図はあったとは思うが、うらみやつらみや、ごちゃごちゃして、はっきりしなかった。

今回の判決の中で、プレスリリースについて、このことから「直ちに本件本訴提起の目的が専ら被告を攻撃することにあったとすることはできず」と裁判所は認定しているが、プレスリリースは中下裕子さんらが行ったものであり、松井さんが、証言の際に、自分の考えは違うと答えたことがこの結論を出させたと私は思っている。何となく、中下裕子さんの意図や行動を以て、松井さんを罰するような構造になることに、私の方にもやや躊躇が生まれたのである。

異常な社会不安を引き起こし、そして、信じられないほどの多額の研究費がばらまかれた環境ホルモン問題が、この背景にあるのは当然だが、丁度その収拾、幕引きが環境省自身の手で始まった時期にこの裁判は起きた。

環境省は、その異常さを終息させるべく動く過程で、中西を座長に指名したシンポジウムのセッションを企画した。中西の起用は全く考えられもしないことだったに違いない(私が一番驚いた?)。

そのことが、環境ホルモン問題に大きく依存していた学者や市民運動を刺激した。そのことがこの裁判の遠因。環境ホルモン学会やダイオキシン環境ホルモン国民会議の幹部が、こぞってこの裁判を支援したのを見ても分かる。

ニセ科学批判で知られる菊池誠・大阪大学教授は、「中西応援団」からはあえて距離を置いていたようですが、このように考察しています。

kikulog:例の訴訟と陰謀と敵味方とについて(強調引用者)

中西準子さんの名誉毀損訴訟については、とりあえず当たり前の話は書いてしまったし、ほかの人たちのホームページでもいろいろ取り上げられているし、結審するまでは黙っていようと考えていた。どう考えても原告敗訴だろうから。

しかし、口頭弁論の場に原告の松井教授が姿を見せず、原告側は中下弁護士(引用者注:中下裕子弁護士。「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」副理事長)だけだったなどの話を聞くにつけ、結局は環境系市民団体が中西さんを陥れようとしている単なる陰謀だったのだなあという確信が強まってくる。もちろん、それはおおかたの人にとっと初めから想像はついていたことなのだけど、普通はその印象を弱めるための努力くらいはするものだろうに。要は「訴訟を起こした」という事実さえできれば、あとはどうでもいいということか。こういう陰謀が、(1)おそらくは弁護士が主導(2)京大教授が荷担、して行われていることについては、あらためて強く批判しておく。

それにしても、市民運動(特に環境や安全問題の)と科学者の関係は難しい。○○反対派の市民運動家は、「○○は危険だ」と唱える科学者を味方とみなし、「○○は危険ではない」と唱える科学者を敵とみなす傾向がある。本来、これは敵味方の問題ではないはずなのだが・・・・。

先日、物理学会誌を調べていて、「第27回物理学者の社会的責任シンポジウム」報告を見つけた。そこに市民団体(ここでは仙台の生協)のかたの意見として、「(科学者は)市民と平に語れる関係を作り、自分を含めた人々の暮らしの上に立った専門家を目指してほしい」と書かれていた。これは字面だけ読むとまったくその通りなのだが、本当に平に語れる関係を作りたいなら、自分と違う主張をする科学者の話もちゃんと聞く耳を市民運動家側も持つ必要がある。科学者側だけの問題ではないのだ。「○○は危険ではない」と主張する人は敵、と思っているうちは、歩み寄りはありえない。

科学者にもでたらめな科学者とまともな科学者がいる。「○○は危険だ」と主張するか「○○は実は危険ではない」と主張するかは、その科学者がでたらめかまともかとは関係ない。そんなものはケースバイケースに決まっている。自分にとって都合のいい(自分の信念を裏付けてくれる)主張かどうかで敵味方をわけるのは、誰にとっても得策ではない。そこにつけこむいい加減な連中が必ずいるから。逆の御用学者というわけ。それは「買ってはいけない」の教訓だったはずなのだけど・・・

今回の中下弁護士は、上で述べたような「敵味方概念」で行動しておられるようだ。中西さんはそのような感覚の運動家からみれば、さしずめ「変節者」ということになるのだろう。変節者は粛清される。

中西準子氏は、「合成洗剤は石鹸よりも環境に悪い?」の項でも触れましたが、思想や市民運動からも距離を置いてきて、氏の言うところの「ファクト(事実)」にこだわって提言をしてきました。合成洗剤も進歩して、石鹸のほうが環境にいいとは必ずしも言えないのだから、もう振り上げた拳は下ろすべきだ、と言える人だった。そういう姿勢が、思想先行科学欠如の自称市民運動家からは「変節者」と見なされ邪魔ものにされたのでしょう。

中西氏は、最近は著書やウェブサイトを通じて、市民運動の在り方にたびたび疑問を投げかけています。環境ホルモン濫訴事件の後で出た『食のリスク学』ではこう書いています。

(有機農業は、環境にプラスですか? という問いに対して)最初は確かに残留農薬によるリスクがあり、それを問題にした市民運動体が出来上がりました。しかし、時間が経つと、そもそも農薬が悪いという思想に転換するのです。農薬がどのくらい含まれていて、それは有害かとか、どういう機能を持つかに関係なく、農薬はいけない、になってしまいます。そうなると、農薬の種類によらず、量によらずダメということになってしまいます。問題はそこです。市民運動の出発点は常に、新鮮な問題を指摘し、しかも、ファクトから出発するのですが、あるところで、思想に転化し、ファクトからずれ始めます。そこが、問題だと思います。(p149)

今、気になるのは、最近の市民運動の風潮です。自分たちの考えを通すときにはリベラルでなくてもいいという考えになってしまっています。昔の市民運動は、公正な方法で両方がきちんと意見を出せるような状況で議論をすべきだとか、思想によって差別されるべきではないという、民主主義の原則がありました。かかわっている人たちも、その原則を守ることは当然だと思っていました。たとえ自分と意見が反対であっても、相手を尊重し、変な個人攻撃をしないというルールが、しっかりと存在したのです。

しかし、最近の市民運動の中には、自分の意見と違う人は権力を使ってでも叩いてしまえという風潮があります。リベラルとか民主主義、あるいは人間主義という大切な原則を外しても平気だという風潮はとても怖いことだと思います。(p164)

「公正な方法で両方がきちんと意見を出せるような状況で議論をすべきだとか、思想によって差別されるべきではないという、民主主義の原則」「たとえ自分と意見が反対であっても、相手を尊重し、変な個人攻撃をしないというルール」というのは、ヴォルテールではないですか。

私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。

この「環境ホルモン濫訴事件」と、前述の「遺伝子組換えイネ濫訴事件」、松永氏が指摘しているとおり、同じ弁護士が原告代理人に名を連ねていました。「食の安全・監視市民委員会」代表であり、「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」理事でもある、神山美智子弁護士です。

食の安全・監視市民委員会

「食の安全・監視市民委員会」は、日本消費者連盟の中に事務局を置いていて、「設立趣意書」では、

特定の団体に属しておられない市民の方々と専門家が連携して予防原則の立場から市民の声を行政に反映させるとともに、安心して生活できる社会をつくり上げていくために委員会に参加し共に行動することを呼びかけます。
と謳っています。

「予防原則」、よく聞く言葉ですが、「予防原則」を際限なく拡大してしまうと、自動車も包丁も凶器だからダメ、結局はこの世に100%安全なものなどないということになってしまいます。それはおかしい、リスクとベネフィット、リスク低減にかかるコストを見積もって、限りあるリソースは出来るだけ有用に使おうというのが、中西氏のリスク論なのです。

この「食の安全・監視市民委員会」ですが、「無添加」「無農薬」は本当に良いものか?で取り上げた、健康食品管理士認定協会理事長の長村洋一氏が行った講演に対して、抗議文書を送りました。
「食品添加物を危険だというのは全て無知に起因する重大な誤り」と述べるなど、明らかに消費者や一部の学者、専門家を愚弄する発言を繰り返した
長村氏のような食品添加物賛成派

長村氏は「食品添加物賛成派」だとレッテルを張っています。長村氏にせよ、フードファディズム批判の高橋久仁子氏にせよ、決して無批判に食品添加物を礼賛しているわけではありません。何事にもリスクとベネフィットがあるから、それを天秤にかけてうまく使いこなせと言っているだけです。

「消費者や一部の学者、専門家」は、「一部の」という言葉を入れる位置を間違えています。正しくは、「一部の消費者や学者、専門家」です。「学者、専門家」は、確かに、現状の基準で使われている食品添加物が健康上問題だと言っているのはごく「一部」であって、その他大方の研究者は、タバコや酒、食品そのものに含まれる有害物質に比べれば取るに足らないことはよく知っているのです。ただ、ウェブサイトで取り上げたり、市民向けの講演でそれを取り上げている人となると限られてくるのです。どうやら、「学者、専門家」は自分たちに同調するのはごく一部だけれども、「消費者」はみんな自分たち「食の安全・監視市民委員会」の味方だという驕りがあるようです。

かような団体なので、「特定の団体に属しておられない市民の方々と専門家が連携」というのは、キレイゴトの嘘っぱちとみたほうがいいでしょう。

世の中は自分たちの味方だという思い上がり

個人的な感想ですが、「食の安全・監視市民委員会」のような、思い上がった市民運動を見ていて、「世論は自分たちの味方」という思い上がりが何だか似ているなあと思うのが、昔の、70年安保の全共闘や、遵法闘争・スト権ストの国労・動労でしょうかね。安保闘争には2回あって、60年安保のときは、一般市民にも支持が広まり、結果的に岸内閣を倒したけれども、70年安保は、当時の世論も冷めたもの、挙句の果てには暴走して同士討ちリンチ殺人にあさま山荘事件まで行って、学生運動そのものが衰退してしまったのです。

国鉄の遵法闘争では、動かない電車にブチ切れた通勤客が暴動を起こして(上尾事件)、その期に及んでも国労・動労は「上尾の件は権力側の扇動したもの」と開き直ったものだから、それを上回る「首都圏国電暴動」が起きてしまいました。

地元民不在・余所者主導の反対運動

ダム反対などの市民運動を見ても、直接の利害関係にはないはずの、余所者主導の「反対運動」が目立つのが気になります。徳山ダムの反対運動では、当の水没住民との間に軋轢を生んでいましたし、おそらく日本でもっとも有名なダム反対運動を巻き起こした下筌(しもうけ)ダムでは、ダムとは無関係な労働組合員や左翼活動家が「支援」と称して大挙して乗り込んできて、運動の方向性を、住民が始めた反対運動とは違う「反政府闘争」に捻じ曲げてしまう結果になりました。

「市民派」は「市民」の看板を真の市民に返せ

そろそろ、思想先行科学欠如の自称市民運動家に、私たち市民がNOと言ったほうがいいでしょう。彼らは、市民市民と言いながら、向いているのは同士の運動家。肝心の市民を蔑ろにしているからです。

自称「市民運動」を、市民が監視しよう

公害や悪徳商法批判から起こった市民運動の一部は、皮肉なことに、彼らが批判していたはずの悪徳商法とそっくりな不安煽動に陥ってしまいました。そして、「普通な食品にはこんなに危ない添加物や残留農薬を含んでいる、合成洗剤は危ない、だから私たちの無添加食品、無農薬野菜、環境にやさしい石鹸」というマッチポンプ商法を一部生協がやっている、ミイラ取りがミイラになる構図の典型です。

今こそ、つけあがる、自称「市民運動」を、真の市民がリテラシーを磨いて監視する番です。

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