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Q:合成洗剤は石鹸よりも環境に悪いのですか?

A:一概に「悪い」とも言い切れません。

石鹸と合成洗剤

おそらく、今では大多数の人は、花王のアタックを贈答品にしたりして、合成洗剤に関しては大して問題には思っていないかと思われますが、未だに一部に狂信的な石鹸信者・合成洗剤追放論者がいるようです。

「手作り石鹸」には、安易に手を出すな

先日、「瀬戸朝香が自分の母乳で石鹸作り」という芸能ニュースが載りました。曰く、

母乳せっけんは、オリーブオイル、パーム油、ココナッツ油などの油分と、一度加熱処理した母乳、精製水などを合わせて作ったせっけんで、お肌に良いなどとちまたでも話題のせっけん

ということですが、これだけでは石鹸は出来ません。

苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)。「油分」と、苛性ソーダを反応させて出来るのが石鹸なのです。苛性ソーダは代表的な強アルカリで、目に入れば失明の恐れが高く、皮膚も侵します。石鹸を手作りするなら、苛性ソーダの危険性に関してきちんと学ぶ必要があります。油脂に対して苛性ソーダの量が過剰だと、下手すれば、汚れはよく落ちるけれども、お肌にも優しくない石鹸が出来てしまいます。「手作り石鹸」にはそういったリスクが付きまとうことを知っていただきたいと思います。

ちなみに私は、化粧品メーカーで石鹸製造に従事していた経験があります。髭剃り用のシェービングソープ、液状石鹸なので、苛性ソーダの代わりに苛性カリ(水酸化カリウム)を用いるのですが、原料を密封したつもりが隙間が開いていて、潮解(空気中の水分を吸って溶解すること)してドロドロになっていて、こっぴどく怒られたことがあります。こういった性質も押さえておく必要があります。

「シャボン玉石けん」では、「石けんを作るときの苛性ソーダは化学物質ではありません」と言っています。

この世の中に、「化学物質」ではないものはありません。もし「100%化学物質ではないもの」を見つけたら、英国王立化学会から100万ポンドの賞金が出ます。試しにだれか出してみてください(笑)。

それはともかく、「化学物質ではないもの」を喧伝している企業のコンプライアンスを疑いたくなりますね。

石鹸運動の盛衰

中西準子氏は現在、独立行政法人産業技術総合研究所・安全科学研究部門長、「環境問題」を40年以上扱ってきて、「環境リスク学」を打ち立てた方です。その中西準子氏が、自身のウェブサイトで、次のようなことを書かれています。

雑感431-2008.6.3「石けん運動の経過について考える -びわ湖会議解散の報に接して-」

合成洗剤問題と日本の環境運動

日本全体に広がった環境運動としては、合成洗剤反対運動は歴史的にみて、最強の市民運動のひとつと評価できるのではなかろうか。全国津々浦々に広がり、学校教育の現場にも大きな影響を与えた。

まず、分解しないがために川や下水処理場が泡だらけになる、手が荒れる、洗濯したシャツを着るとかゆい、こういうところから合成洗剤についての不信が広がった。

そして、生分解性の低いABSから生分解性の高いLASに変わっていった。これは、明らかに市民運動の大きな成果である。つぎに、富栄養化の原因であるリンが洗剤に含まれていたことから、滋賀県が有リン洗剤禁止に踏み切ったのも、まさに市民運動の成果である。

当時、私は下水処理の講座に属していたので、如何に下水処理でリンを除くかが大きな研究課題になっていたか知っている。そういう後始末処理に頼るのではなく、発生源でなくしてしまうという方法は、経済的で合理的であった。この頃までの合成洗剤反対市民運動の成果は、もっともっと高く評価されてもいい。

ただ、それが、合成洗剤はダメ、せっけんは良いのスローガンになったことで、合成洗剤の非をあげつらい、せっけんを良いというために、使い易さという素朴な判断基準も捨て、科学性も捨ててしまった。学校教育の現場にまで、非科学的な、合成洗剤の有害性を証明する実験が「理科教材」として持ち込まれたことも、実に残念だ。

スローガンの怖さ

その目標を伝えるために、スローガンは有効で、かつ、必要でもある。しかし、一度決めると、その正当性を証明するために、どうしても無理をするようになる。そのスローガンが正しいかどうかを検証するための道具、科学まで否定するようになってしまう。

流域下水道反対

流域下水道反対運動をしていた時も、スローガンの難しさをいつも感じていた。この流域下水道計画はおかしい、使い捨てという原理はおかしい、工場排水と家庭下水との混合処理はおかしいので、「流域下水道反対」なのだが、一部なら使い捨てした方がいいとか、一部なら工場排水もいいということは分かっている。

だから、リスク論というものを考えるようになったのだが、それは、スローガンの意味を自分で曖昧なものにする行為であった。

反対運動をしている過程で最も難しいのは、相手側(この場合は、旧建設省や都道府県の土木関係)が、改善案を出してくる時である。その改善案が良ければ良いほど、スローガンの意味が希薄になる。

こちら側の意見が一部取り入れられたからいいことだが、自分の主張の意味が希薄になるように感ずる。そして、焦るものだ。場合によっては、自分の主張をより強固にしようと思い始める。以前よりスローガンの意味は希薄になっているのに、それをもっと強く主張するようになることがある。

市民運動にコミットしたとは言え、私は、その運動体の指揮者ではないので、スローガンにそれほど拘束されない立場に立つことができた。しかし、運動体の指導者(活動家)には、スローガンをあいまいにすることは非常に難しいのは理解できる。でも、ここが勝負のような気がする。せっけん運動の流れを見ていて、最初はすごい運動だった、成果も挙がった、しかし、その後、どんどん反科学、非科学になり、社会を後ろ向きに動かす力になってしまい、消費者の動向からも離れてしまった。

中西氏はかつて、下水道政策を痛烈に批判して、東大の都市工学科で万年助手という辛酸を舐めました。その頃は、行政を批判する市民運動の側から賞賛されることが多かったようですが、中西氏は市民運動とも一定の距離を置いてきて、批判することは批判する、「合成洗剤の問題は解決されたのだから、もう振り上げた拳は下ろそうよ」と言える人だったんですね。そうすると、それ自体が自己目的化している、ある種の市民団体からも邪魔者扱いされるようになってしまったわけです。最近の著書でも、市民運動の問題点には度々述べておられます。

石鹸運動が、石鹸屋になった

石鹸運動の場合、「運動家」が石鹸メーカーになっていたという事情もあります。合成洗剤を作れるメーカーは少数の大手企業に限られるのだけれど、それと差別化したいらしい中小の石鹸メーカー。合成洗剤はこんなに危ない、だからうちの石鹸をという不安煽動商法ですね。アルミ鍋でアルツハイマーになるといってステンレス鍋を訪問販売やマルチ商法で売る悪徳商法と、どこが違うのですか?

生分解性が高すぎると環境によくない?

石鹸にせよ合成洗剤にせよ、界面活性剤は有機化合物であり、微生物によって分解されます。この分解には酸素を消費し、二酸化炭素として排出されます。仮に、あまりにも生分解性が良すぎる石鹸があったとして、それを大量に排出すれば、酸素の消費が多すぎて、水が酸欠になって魚が棲めなくなってしまうでしょう。「有機物 燃える腐るは同じこと 酸素を取って二酸化炭素に」という狂歌を作られた橋谷博・島根大学名誉教授のところに、「ゆっくり分解する方が環境負荷が小さいのでは?」と言った院生がいて、「うちの優秀な院生です」とフォローしたという話があります。ちなみに橋谷氏、「環境狂歌」をいくつも作られていますが、氏の代表作にして最高傑作とされるものがこれです。

「やさしくとは 生物どうしが 言うことさ 地球に言うとは 驕りきわまる」

協同組合石けん運動連絡会

今でも、一部の生協が「石鹸運動」をやっています。生協の最大勢力である日本生協連は、「石鹸が合成洗剤よりも環境によい」という認証はやめているのですが、生活クラブ生協グリーンコープなどで「協同組合石けん運動連絡会(協石連)」という団体を作っています。

「遺伝子組み換え反対」を唱えているところと、大体被っているようです。

大矢勝教授

石鹸と合成洗剤の問題の専門家を挙げておきましょう。大矢勝・横浜国立大学教授。

実は私、mixiの、実は石鹸真理教の布教所だったコミュニティで大矢氏に触れて、氏の回し者のように言われたことがあるのを忘れません。大矢教授と私とは一面識すらないんですけどね(笑)。

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