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プルタブ運動―善意が空回りするとき

「プルタブ集めて車椅子」とは

「缶飲料のプルタブを集めて車椅子に変えられる」という、チャリティー運動があったことを、聞いたことがある方も多いでしょう。ところが悲しいことに、既に意義を失っているにもかかわらず、未だに惰性で動いている市民運動の、いわば悪しき見本になってしまっているのです。

かつて、さだまさしがラジオ番組でこのチャリティーを取り上げたことが、この運動が広まったきっかけでした。当時は、缶から外れるプルタブが使われていたので、プルタブの飛散を防いで、なおかつそれを買い取ってもらうシステムを作って車椅子に、という一石三鳥の効果(ついでに言えば、「良いことをした」という満足感をくすぐる)があったのでしょう。

プルタブからステイオンタブに

ところが、缶飲料のタブは、1990年前後に、缶から外れないステイオンタブに代替されました。ところが、これを無理やり引っ剥がして集めて送ろう、という活動をしている団体が、今もいくつかあります。環公害防止連絡協議会大阪府理容生活衛生同業組合などです。

単純にリサイクルの効率、という観点からみれば、プルタブだけを集めて、アルミに再生するということは、もはや輸送コストのほうが高くついて、割に合わないのです。アルミ缶リサイクル協会スチール缶リサイクル協会では、ステイオンタブを無理やり外すのは止めようと告知しているのです。

惰性で動くのは、いいかげんに止めるべきだ

「プルタブチャリティー」は、タブが缶から外れなくなった時点で、もはや存在意義を失ったのです。市民運動が陥りがちな悪しき問題なのですが、活動自体が自己目的化しているんですね。運動というものは、情勢に合わせて、撤退するときは潔く撤退する、引き際が必要なのではないでしょうか。

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